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「20世紀デザイン切手」シリーズ第5集及び第6集の発行

郵政省は、「20世紀デザイン切手シリーズ郵便切手(全17集)」を平成
12年12月まで、原則として毎月「ふみの日」(23日)に発行します。 
「20世紀デザイン切手」シリーズ
 郵政省では、我が国の20世紀を象徴し、21世紀へ向けて、夢と希望のある題材を、芸術、スポーツ、科学・技術、世相等の各種ジャンルに求めてシリーズ切手を発行します。
第5集は、1927年~1928年までの題材6種類
第6集は、1929年~1932年までの題材8種類
をそれぞれ各集1シート10 枚構成で発行します。
 シート単価は、第5集、第6集とも80円郵便切手8種類、50円郵便切手2種類の740円とします。

20世紀デザイン切手シリーズ第5集郵便切手
20世紀デザイン切手シリーズ第5集郵便切手
20世紀デザイン切手シリーズ
第5集郵便切手

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販売期間 平成12年1月21日(金)から
平成12年4月20日(木)まで
発行枚数 7,000万枚(10種連刷・各700万枚)
料 額50円郵便切手及び80円郵便切手
(2)・(3)の東京地下鉄開業は50円郵便切手、
それ以外は80円郵 便切手
販売地域 全国の郵便局等にて販売
意匠

(1)映画「鞍馬天狗」
(2)東京地下鉄開業
(3)東京地下鉄開業
(4)ラジオ体操始まる
(5)アムステルダム五輪 鶴田義行選手
(6)アムステルダム五輪 織田幹雄選手
(7)アムステルダム五輪
(8)アムステルダム五輪 人見絹枝選手
(9)カフェー全盛
(10)「放浪記」林芙美子

印面寸法 縦36.5mm×横28.05mm (1)(2)(3)(5)(6)(7)(8)
縦36.5mm×横25.0mm  (4)
縦33.5mm×横28.05mm (9)
縦33.5mm×横25.0mm  (10)
版式・刷色
グラビア6色
シート構成
各10枚
50円郵便切手×2枚

80円郵便切手×8枚
総合
デザイン
森田 基治(郵政省・技芸官)

第5集の切手のデザインについて (敬称略)

  • 映画「鞍馬天狗」(1)
     1927年(昭和2年)、大佛次郎が創作した幕末のヒーロー鞍馬天狗を主人公とす る映画「鞍馬天狗異聞・角兵衛獅子」が嵐長三郎(後に「嵐寛寿郎」と改名)の主演で制作されました。
    白馬にまたがり、黒の着流しスタイルの鞍馬天狗は国民的な人気を集め、1959年(昭和34年)までに、60本以上の映画が制作され、代表格の嵐寛寿郎をはじめ11人もの役者が鞍馬天狗に扮しました。
    (写真提供:(株)マツダ映画社)

  • 東京地下鉄開業(2)(3)
     1927年(昭和2年)12月30日、東京の上野~浅草間に日本初、アジアでも初の地下鉄が開業しました。
    鋼鉄・黄色の車両は98人乗りで自動ドア、自動列車停止装置を装備し、1両編成により約2.2kmを4分50秒で運行しました。10銭銅貨を投入すると腕木が回転して通行できる自動改札も評判を呼び、開業当初は大変な混雑ぶりとなりました。
    (資料提供:帝都高速度交通営団)

  • ラジオ体操始まる (4)
     昭和天皇御即位の大礼記念事業の一つとして、逓信省(現在の郵政省)簡易保険局が国民の健康の維持・増進を図るために制定した「国民保健体操」のラジオ放送が、日本放送協会の協力を得て、1928年(昭和3年)11月に始まりました。以後、この体操は「ラジオ体操」の名で親しまれ、国民的体操として定着していきました。
    (資料提供:郵政研究所附属資料館)

  • アムステルダム五輪 鶴田義行選手(5)
     1928年(昭和3年)、オランダで開催された第9回アムステルダム大会の水泳男子200m平泳ぎの決勝は8月8日に行われ、鶴田義行選手が2分48秒8のオリンピック新記録で優勝し、水泳競技においては日本選手初の金メダリストとなりました。鶴田選手は、続く第10回ロサンゼルス大会でも200m平泳ぎで優勝、日本選手初のオリンピック連覇を成し遂げました。

  • アムステルダム五輪 織田幹雄選手(6)
     前回のパリ大会に続いて2回目の参加となる織田幹雄選手は、アムステルダム大会の陸上三段跳びに出場しました。大会前から好調を持続していた織田選手は、8月2日に行われた決勝2回目のジャンプで15m21cmを記録して優勝し、オリンピックにおける日本選手初の金メダリストとなりました。

  • アムステルダム五輪(7)
     46カ国、3,015人の役員・選手が参加して開催されたアムステルダム大会では、当日の競技の進行予定が記載された競技プログラムが発行されました。意匠に採用した8月2日の陸上プログラムは、この日陸上三段跳びで金メダルを獲得した織田幹雄選手が持ち帰られたものです。
    (資料提供:秩父宮記念スポーツ博物館)

  • アムステルダム五輪 人見絹枝選手(8)
     オリンピック史上、アムステルダム大会において初めて採用された陸上女子種目のうち、 800mに出場した人見絹枝選手は、2分17秒6で2位に入賞、日本女子選手初のオリンピックメダリストとなりました。 人見選手は、女子100mの準決勝で敗退を喫し、その雪辱のために未経験の800mに出場して、この快挙を達成しました。
    (写真提供:共同通信社)

  • カフェー全盛(9)
     明治時代に登場したカフェーは、1920年代後半から1930年代前半にかけて全盛期を迎えました。ダンスホールやビヤホールとともに、モダンボーイ・モダンガールら男女の集う社交場としてにぎわいました。
    (資料提供:日本漫画資料館・清水勲氏)

  • 「放浪記」林芙美子 (10)
     1928年(昭和3年)、林芙美子が長谷川時雨主宰の雑誌「女人藝術」に「秋が来たんだ-放浪記-」を発表、その後同誌と雑誌「改造」に連載された文章をまとめて1930年(昭和5年)に単行本として「放浪記」を出版しました。
    貧しく辛い放浪の日々にありながら、強く生きる主人公のあり方が共感を呼び、この作品はベストセラーとなりました。
    (資料提供:新宿区立新宿歴史博物館)

  • シート余白部分 
     アムステルダムのオリンピック・スタジアムと金・銀メダルのイメージ
    (資料提供:秩父宮記念スポーツ博物館)
20世紀デザイン切手シリーズ第6集郵便切手
20世紀デザイン切手シリーズ第6集郵便切手
20世紀デザイン切手シリーズ
第6集郵便切手

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販売期間 平成12年2月9日(水)から
平成12年5月8日(月)まで
発行枚数 7,000万枚(10種連刷・各700万枚)
料 額50円郵便切手及び80円郵便切手
(4)・(5)の国産乗用車量産始まるは50円郵便切手
それ以外は80円郵 便切手
販売地域 全国の郵便局等にて販売
意匠

(1)昭和初期の浅間山
(2)「蟹工船」小林多喜二
(3)ハンドバッグ・開襟シャツ
(4)国産乗用車量産始まる
(5)国産乗用車量産始まる
(6)マンガ「のらくろ」
(7)日本ダービー始まる
(8)日本ダービー始まる
(9)影を慕いて
(10)五・一五事件 二・二六事件

印面寸法 縦33.5mm×横28.05mm (1)(6)
縦33.5mm×横25.0mm  (2)(3)
縦36.5mm×横28.05mm (4)(5)(7)(8)
縦36.5mm×横25.0mm  (9)(10)
版式・刷色
グラビア6色
シート構成
各10枚
50円郵便切手×2枚

80円郵便切手×8枚
総合
デザイン
森田 基治(郵政省・技芸官)

第6集の切手のデザインについて (敬称略)

  • 昭和初期の浅間山(1)
     長野・群馬県境にそびえる浅間山(標高2,568m)は、古くから多数の噴火が記録されている我が国の代表的活火山の一つです。
    昭和初期にも火山活動が活発化し、1929年(昭和4年)の噴火では山林が焼失し、直径30~60cmの噴石が3kmも飛んだと言われています。また翌年に6名、翌々年にも3名の死者を出す大規模な噴火が続き、噴石に加え、広範囲での降灰が観測されました。
    (資料提供:中島松樹氏)

  • 「蟹工船」小林多喜二(2)
     大正の末から昭和の初期にかけての社会・労働運動の高揚にともない、社会問題をあ つかったプロレタリア文学がおこりました。作家小林多喜二は、1929年(昭和4年)、 機関誌・戦旗に「蟹工船」を発表し、プロレタリア文学の代表的作家となりました。
    (資料提供:日本近代文学館)

  • ハンドバッグ・開襟シャツ (3)
     欧米から輸入された洋服は、昭和初期に入ると次第に定着していきました。洋装化にともない婦人服飾では「ハンドバッグ」が必需品となり、皮革製のものが登場しました。紳士服飾では、「開襟シャツ」が登場し、流行しました。
    (資料提供:日本近代文学館)

  • 国産乗用車量産始まる(4)(5)
     1932年(昭和7年)、「ダットサン10型」の生産が開始され、純国産の乗用車として初めて量産が軌道に乗りました。ボディは購入者の好みに合わせ、ロードスター、フェートン等が生産されました。また、1936年(昭和11年)には、「トヨダAA型乗用車」の生産も開始されました。
    (資料提供:日産自動車(株))
    (資料提供:トヨタ自動車(株))

  • マンガ「のらくろ」(6)
     漫画家田河水泡が生み出した「のらくろ二等卒」は、1931年(昭和6年)の少年倶楽部新年号から、連載が始まりました。主人公である不遇な野良犬くろが、失敗ばかりしながらも昇進していく物語は、大人気となり、当初2年間の予定だった連載は、約11年に渡る長期に及びました。
    (資料提供:町田市立博物館)

  • 日本ダービー始まる(7)(8)
     1932年(昭和7年)、第一回日本ダービーは「東京優駿大競走」の名で、距離2,400m、出走馬19頭により目黒競馬場で開催され、「ワカタカ号」が優勝しました。
    第二回優勝は「カブトヤマ号」で、カブトヤマ号は後に種牡馬となり、第14回ダービー優勝馬のマツミドリ号等を産出した功績をたたえられ、カブトヤマ記念競走が設けられました。
    (資料提供:日本中央競馬会)
    (資料提供:馬事文化財団)

  • 影を慕いて(9)
     1931年(昭和6年)、古賀政男作詞・作曲の「影を慕いて」が佐藤千夜子の歌でレコード化、更に翌年、藤山一郎の歌でもレコード化され大ヒットとなりました。古賀政男自身の青年時代の悲恋を綴ったこの曲は、今も多くの人々に愛されている「古賀メロディー」を代表する1曲となりました。
    (資料提供:古賀政男音楽文化振興財団)

  • 五・一五事件 二・二六事件(10)
     1932年(昭和7年)5月15日、海軍の青年将校らが首相官邸等を襲撃し、犬養毅首相を殺害しました。また、1936年(昭和11年)2月26日には、陸軍の青年将校らが高橋是清大蔵大臣、斎藤実内大臣らを殺害し、首相官邸等を占拠しましたが鎮圧されました。

  • シート余白部分 
     雑誌別冊付録「のらくろ小犬時代」の表紙絵(部分)
    (昭和10年7月発行の雑誌「少年倶楽部」の付録)
    (資料提供:町田市立博物館)